満ち欠けの物語

結果は現実逃避ポエミーブログ

自分の幸せより他人の不幸?~舞台オセロー感想~

 2018年9月に上演された中村芝翫さん主演の舞台「オセロー」。

好評を博したこの舞台がEテレで地上波放送されることに!地方勢で遠征が厳しい身としてはこんなに嬉しく有難いことはなかったです。

 

それでは簡単にオセローの感想。主に、「登場人物誰にも共感できない。一方で全ての登場人物が抱く感情がわかってしまう不思議」について。

 

オセローの登場人物、全員思考が極端かつ短絡的で行動力が異常なのでちょっと一緒に仕事するのは嫌かもってタイプばかりです。ゆえに彼らにまるっと共感するのは難しい。

しかしながら演劇的表現としての大仰さを取り除いて行動原理を考えてみると、意外とシンプルで、自分でも経験したことのあるような感情に行きあたるのです。

 

例えば主人公のオセロー。部下の告げ口を何故か200%全力で信じ込んで最大の悲劇を引き起こします。もちろんイアーゴーに騙されたことが悲劇の始まりですが、他人のイアーゴーの言葉を信じ込み妻を疑ってしまったのは、彼自身にある「ムーア人」というコンプレックスが要因だったと考えられます。

 

戦争の功労者であり立派な将軍のオセローですが出自は奴隷。どれほど国のために戦っても肌の色は変えられません。

オセローにとって、美しく気品があり優しく教養のある深窓の令嬢デズデモーナはヴェニスの象徴だったのではないでしょうか。

それゆえ深く愛したし、どうしても手に入れたかった。そして裏切られた(と思い込まされた)ときには安易に信じてしまった。どれだけ国に貢献し立派に振舞ってもヴェニスの人間たちにムーア人は認められない、という彼自身のコンプレックスを投影してしまったのです。

 

絶対に幸せになれない思考回路なのでこういう感情を抱いたことのない方はスルーしてくださって構わないのですが、私はおそらく自己肯定感が低い方の人間なのでこのオセローの発想がわりと理解できてしまったんですよね…。

自分を好きだと言ってくれる相手のことは信頼できず、裏切られたりぞんざいに扱われたりする方が納得できるので傷つきつつも心のどこかでは安心してしまう。

矛盾しているようですが、幸せいっぱいの人が「幸せすぎて不安なの……」みたいな傍から見て「ハァ?」と言いたくなる状況もこれと近いように思うのです。

少し不幸な方が現実感がある気がする、自分を褒めてくれる人よりキツイことを言う人の方が正しい気がする。全て錯覚なのに幸せ

ときにこそどうしても疑うのをやめられない。

「緑色の目の怪物」は小さな自分自身のなかにいつも存在するものですから。

 

そして最大の(もしかすると唯一の)悪人イアーゴー。イアーゴーは嫌なヤツすぎて「そこまでする必要ある?」ってツッコミたくなる場面がいくつもあるんですが、彼の計略通りに事が運ぶとその分だけ彼が目に見えて憔悴していったことから、本人すらアンコントロールな嫉妬心に踊らされていたとわかると滑稽でかつ切なかったですね。いや捕まった時は「ザマァwww」って思ったけどね。

 

彼の妻エミーリアが本当にオセローと寝たかはわかりません。でもエミーリアとオセローが噂になったことで、イアーゴーの男としてのプライドが傷付いたのは事実だったのでしょう(エミーリアもそれは気付いていたみたい?)。

装束や身のこなしの雰囲気から言ってキャシオーは身分の高い生まれっぽくてイアーゴーは叩き上げの匂いがするので、キャシオーへの妬みはもとからあっただろうなと想像できます。

それにしたってキャシオーが酔って騒ぎを起こして副官を解任された時点で満足してればこんな身の破滅はなかったはず。冷静に自分の利だけを追求していれば、多くの悲劇は起こらなかったはずなのです。

 

なぜイアーゴーは、自分の利益が最大化するタイミングで復讐をやめられなかったのか。

「他人の幸福」を考えて行動するのが一番全体最適になりやすくて結果自分も得る利益が最大化する、というのはいろんな思考実験で証明されているのですが、そうは言っても自分に降りかかるリスクがある以上他者の幸福ばかり考えていられないですよね。

だから結局「自分の利益」を追求してしまう。

ここまではわかりやすい。

厄介なのは、時に人は「自分の利益」に繋がらない「他人の損」が生まれるよう行動してしまう、というところです。

他人が不幸になったところで自分の利益には結びつかない、それでも他人に損をさせて満足感を得てしまうのは一体どうしたことでしょうか。

自分の利益追求はなかなか難しいものです。ゴールの設定ができない、またはゴールを設定し達成できたとしてもすぐに次のゴールの設定が待ち構えている。

幸福を得ること、そして得た幸福を守り続けることはとても難しい。幸福を得たことで幸福を得ることが出来なくなるというパラドックスが生まれます。

それに対して他人を不幸にすることはとても簡単です。今ある幸福を取り上げればいいだけだから。

そして他人を不幸にして自分と同じ、または自分より下のステージに落としてしまえば、自分に何の利益もなくても相対的には他人より幸福な自分でいられます。

 実際には何一つ手にしていないのに、他人が損したことが自分の得のように錯覚するのはそういうわけだからだと思います。

 

他人を陥れることで喜びを得てしまう、合理性もなければ道徳性もない感情、悪だとわかっていても抱くことをやめられない感情、オセローが書かれてから400年が経ってもまだ人々は説明をつけられないままこの気持ちを抱え続けています。

だからこそ、誰一人として登場人物に共感できないのに、オセローという物語と登場人物たちに惹かれてしまうのかもしれません。

 

Eテレでの放送だったから見た方は多かったかと思うのですが、もっとたくさんの人に観て頂きたいですしなにより私がやはりライブで観たかったという気持ちを強くしたので、いつか再演の機会があるよう願っています!

オセロー、色々と考えさせられる素敵な舞台でした。


オセロー