満ち欠けの物語

結果は現実逃避ポエミーブログ

本当の愛はここにある。セザールのこと~音楽劇マリウスを観て③~

【注意】音楽劇マリウス、および1961年公開映画「ファニー」のネタバレを含みます。未観賞の方はご注意ください。また、レポではないので音楽劇マリウスの詳細なレポートを読みたい方のご希望にも沿えません。ご了承ください。

 

 

音楽劇マリウス、千穐楽おめでとうございます。今井翼さんの降板と照史くんの代役、また公演期間の大地震、振替公演と、無事に終えたと言うには沢山の方が心を痛めることも多かったかと思われますが、スタッフとキャストの皆様が尽力された素晴らしい舞台でした。

まずは松竹座とマリウスカンパニーの皆様に感謝とお疲れ様でしたを伝えたいです。

 

この1ヶ月、心はマルセーユのあのカフェにありました。マリウスやファニーだけでなく、セザールのカフェの周りで暮らす人はみんな生きていた。あの場で一緒にはたらいて噂話をしてシトロンを飲んで冗談に笑いあっていたようにすら思います。そのせいか、舞台は終わるのにまだあのゆったりと時間が流れるマルセーユの暮らしは続いていくような気がして、不思議と寂しさは少ないのです。

 

と割り切ったような口ぶりながら実際はまだしばらくマリウスロスで引きずりながら日常生活を送りますので…少しずつあの舞台の登場人物に想いを馳せて、彼らへの気持ちを整理しようと思います。

 

まずはセザールのことを。

飲んだくれのカフェの店主、マリウスの父親。数年前に妻を亡くした男やもめ。イタリア人のすっごい体の女に夢中らしい。

怒りっぽいし品はないし大声出すし手も足も出るし酒は好きだし女も好きだしわりとろくでもない父ちゃんでしたね。でもとぼけたかわいらしさがあってつい周りが世話を焼きたくなる愛される男、うーん、マリウスの色男は遺伝でしょうか?下手な芝居も遺伝のようなのでけっこう似たもの親子なんでしょうね。

 

マリウスのなかで最も好きなセリフがふたつ。

ひとつはマリウスからやっと届いた手紙をファニーが読み、手紙のなかのマリウスにセザールが怒る場面。「お前がいなくなってから俺は悲しくて悲しくて毎晩毎晩泣いて…!」(セリフは雰囲気です、メモ取れないので…)。いつも無気力で粗野なセザールの感情と子への情愛が爆発するシーンです。

物語にもう1人登場する男やもめのパニスは、奥様が亡くなって普通の男の5年分の涙を半年で流したと皆の前で喪失の辛さを語りましたが、セザールは妻が亡くなってから、少なくともマリウスの前では決して泣かなかっただろうと想像します。

ただ父の悲しみがマリウスに全く伝わっていなかったわけではなくて、マリウスが成人してすぐに街を出なかったのもファニーのためのほかに独り身のセザールを放っておけなかったという理由もあったのではないかな、そうだったらいいな…と思います。

ファニーとオノリーヌとはまた違った形で支えあってきたセザール父子。他人行儀のようですが父が自分を心配しないように幸せだとだけ伝えるマリウスと、手紙のなかのマリウスに苛立ちながらも無事がわかった嬉しさと遠く離れた寂しさを滲ませるセザールの、確かな親子の愛情を感じるシーンでした。

 

そしてもうひとつ、真実を知るなり子どもは自分のものだと主張するマリウスを叱りとばす場面。

「あの赤ん坊はお母さんの肉をもらって4キロで産まれてきた。それが今は9キロだ。5キロも目方が増えた。なんでかわかるか?情愛の分の5キロだ。情愛なんてものは薄くて淡くて軽くてタバコの煙か綿のようなもんだ。それが5キロも増えた!」

マリウスを諌める言葉でありながら、同時に息子のマリウスに対してセザールや周りの人間がどれだけ愛情を注いできたかもわかります。

あっ好きなセリフ2つと言いましたがそういえばセザールが涙を浮かべるファニーに嬉し涙と勘違いして、ファニーが幼い頃にマリウスのお嫁さんになると妻の前で答えた、というセリフもすごく好きですね…愛があって…。好きなシーンセザールばっかりだよほんといいとこ持っていくんだあのおじさんは…。

もはや見当違いのことを言い出してしまうのですが、セザールのセリフから、どんな人であっても産まれたときから増えた目方分はきっと愛があって、それは何も実の家族ではなくても色んな関わり方をした人が与えてくれたものだ、というのを急に実感したのでした。

そう、照史くんももっと目方増やしてくれていいんだよ、全国の桐山担の情愛とメンバーやマネージャーさんからの餌付けを受けてもう少し目方増やして。心配だから。次の役も時代と役柄的に痩せたままかもしれないからインターバルとして少し増やしましょう?

話が逸れました。しかし、坊やは血の繋がりがなくてもパニスが1番多く愛情を注いで健やかに育っている。ファニーはそれをしっかりとわかって感謝していて、もう単なるお金目当ての夫婦ではなく家族になっている。

マリウスの立場になると、クズはクズだけど居場所なさすぎて可哀想ですよね…。

でもファニーが愛する男は生涯マリウスだけだし、セザールは息子を愛しているし、プティも兄貴分を慕ってたようだし、なんならパニスだって、街の人みんな本当はマリウスのことが大好きだから大丈夫だよ…なんせ様子がいいから…。

 

ところで、事実としては孫と祖父の関係でも表面上はパニスの子で血縁関係のないセザールと坊や。しかもファニーを捨てた男の父親のもとに、なぜファニーと坊やが足繁く通っているのか。

映画版の「ファニー」で描かれているストーリーが根底にあるとすると、坊やのお名前は「セザーリオ」とのこと。

この部分舞台でも描いてほしかったな~。ファニーの賢明さとパニスの寛大さが表現されてますます登場人物が好きになるエピソードでした。まぁマリウスはクズのままなんだけど。

 

セザールのキャラクター性とその破天荒なキャラクターに真実味を与える柄本明さんの確かな演技、柄本さんだったからこそこれらの台詞が好きになったのだろうと思います。

イタリア人女性との恋はどうなったかとか、いいとこのぼっちゃんである坊やに祖父としてどう接していくかとか気になるところがたくさんあるので、セザールを掘り下げた物語もいつか見てみたいです。

愛の男、セザール、たくさん泣かされました。有難うございました。