ライオンのあとでのまえに。~フランスとサラ・ベルナールとデヌーセと~
【注意】舞台「ライオンのあとで」のネタバレを含む可能性があります。未観賞の方はご注意ください。ただし筆者もまだ観劇しておりませんので、観劇を終えた方にとってはツッコミどころが多いかと思います。ご容赦くださいませ。また、レポではないのでライオンのあとでの詳細なレポートを読みたい方のご希望にも沿えません。ご了承ください。
舞台ライオンのあとでの幕が上がりました。
おめでとうございます!!
で、私自身はまだ(10月4日現在)観劇できていないのですが、むしろこの推測は観劇してしまったら無駄になるかもという危惧があるので未鑑賞のうちに1つブログを上げることにしました。
デヌーセにとってのサラ、いや、フランス国民にとってのサラはどのような存在だったのか?こんな視点もあるのではないかという想像です。
劇中ではラ・マルセイエーズが流れるそうです。言わずと知れたかっこいい国歌代表。音楽劇マリウスでもマレジー丸出航の際に流れ華々しく見送られます(切ない…)。
有名なラ・マルセイエーズですが、これってどんな意味の歌?これが結構血なまぐさいんですよね。
端的に言うと、侵略されたまま黙っちゃいねぇドンパチやるから覚悟しとけよ、血を見ることになるぞ、みたいな歌です。
フランスの歴史は、即ち自由を勝ち取るための戦いと革命の歴史でもあります。
フランス国民にとって自由とは状態ではなく強い意志をもって手に入れるもの、国とは犠牲の上に築き上げられたものなのでしょう。
サラ・ベルナールが生きたのは普仏戦争、パリ・コミューン、そして晩年に起こる第一次大戦、多くの血が流れた時代でした。
同胞を失い家族を失い、自らが傷つきながらも前へと進み続けるフランス国民を突き動かしたものはなんだったのか。
それは愛国心だったのではないでしょうか。
数々の犠牲は国にとって必要だった、フランスという国を守り自由を手に入れるためならば全てを擲つことができる、それほど激しく強い「愛」なのです。
フランスにおける「愛国心」とは単なる郷土愛を超えてフランス国民のアイデンティティそのもののように思えます。
話は飛びますが、音楽劇マリウスの登場人物の1人、小さな船の船長エスカルトフィグは自らの仕事を「フランス国家から任された大事な仕事」と何度も口にしました。
国民の心の拠り所である祖国フランス、その国家から任された仕事は、マリウスから見れば何十年も同じところを行き来するだけでも、船長にとっては誇り高い責務だったのだろうと想像できます。
さて、サラ・ベルナールはルーツこそユダヤやスペインにあると言われていますが、フランスを愛し、フランスから大いに愛された彼女は根っからのフランス国民だったと言えるでしょう。
サラは病的なほどの美貌にくわえて高いセルフプロデュース能力の持ち主、審美眼に優れ、戦地に赴いて兵士たちを励ます勇気と情も併せ持つ、そしてなんといっても一度信じ込んだ道は何があっても突き進むバイタリティ、女優として、人として、目が離せない魅力に溢れていたのだろうと思います。
そして彼女の美しさと苛烈さとが、そのままフランスという国の精神に重なっているような気がするのです。
だからこそ、戦争が続いたあの時代に、サラはフランスのシンボルとして熱狂的に迎えられていた。もしかすると賢いサラは自分自身でフランスのシンボルとなるべくあえて激しく生きていたのかもしれない、そんな風に考えてしまうほどに、彼女は祖国を体現するような女優でした。
ここからは全くの想像ですが、デヌーセとサラの年齢差から推測すると、デヌーセの物心がつく頃には既にサラのキャリアは確立されています。
デヌーセは、愛国心を胸に刻みつけて育っているフランス国民。なかでもおそらく愛国教育が最も行われるであろう軍の人間です。
そんな彼にとっての国民的女優サラ・ベルナール。
なんでしょうね、単純に綺麗だから、演技が素敵だから、優しい人だったから、そういう憧れとは質が違う気がするのです。
絶対的な愛と忠誠を誓った祖国、その精神を体現する大スター。
たとえ病に侵され年老いて表舞台から消えようとしていたとしても、デヌーセにとって、フランス国民にとってのサラは、まさに女神だったのだろうと思われるのです。
その女神がいま、自分の脚を切断するように依頼してきた。
デヌーセ少佐はこの依頼を耐え難い罰だと感じたのでしょうか、それとも神を苦しみから救える聖なる行為とみなせるのでしょうか。
デヌーセが何を考えどのように決断し、そしてどう2幕へ移っていくのか。それはまだ知らないので御容赦を。
舞台がとても楽しみです。今日は休演日。
徹子さんをはじめ出演者の皆様はハードな毎日ですが無事に千穐楽までサラたちが駆け抜けられるよう願っています。