人ならざるものたちへ贈るうた~ライオンのあとでを観て①~
【注意】舞台ライオンのあとでのネタバレを含みます。未観賞の方はご注意ください。また、レポではないのでライオンのあとでの詳細なレポートを読みたい方のご希望にも沿えません。ご了承ください。
開き直って最初からナンバリングをしました。
公演中あまり内容に触れることはしたくないので(してるけど)簡単に思ったことのメモです。
観るべきところはたくさんあるんですがこの作品の場合それを書くと全てがネタバレみたいで難しいですね……。
「ふつう」の人より足りていないひとは、人ならざるものとされてしまう。
そして、「ふつう」の人より特別なものを持っているひともまた、人ならざるものとして扱われている。
「ふつう」から欠けたことで人ならざるものとなってしまう手術後のサラ、または2幕のデヌーセ。
また、神からのギフトの持ち主だったために人ならざるものであった「聖女サラ」。もしくは「アマデウス」におけるモーツァルト。
アマデウスの演技が評価されてライオンのあとでのオファーが来たという照史くん、非常に納得しました。
アマデウスのモーツァルトってサラから賢さと使命感を抜いたみたいなキャラでしたもんね(悪口か)。
クリーチャー(異物)がサラとデヌーセだけかと言えばそういうわけでもなく、実はピトーもグルネーもまた、サラと共にいるほか生き場のない常人離れしたひとたちだったり。
人ならざるものは見世物として一生を終えなければいけないのか?
人の側も人ならざるものの側も自分に重ねてしまうところがあって、会話が洒脱なコメディなのと出演者の皆様の巧みさで観たときの口当たりは軽いんですが、観終わってしばらく経った今、自問自答を繰り返しているところです。
ただひとつ確信に近いのは、人ならざるものであっても人であっても、全てに命ある限り演じきるべきロール(役割)はある、ということ。
黒柳さんからエールをもらったと受け取って、明日からの活力にしたいなぁと思うのです。
まぁ今は何の役割も果たさず完全に趣味に走っているところなので明日も観劇するんですけどね……。