満ち欠けの物語

結果は現実逃避ポエミーブログ

Social Media killed the TV star (?)

タイトルがちょっとアレですがWESTV!感想番外編です。

 

WESTV!、アルバムの構成がジャニーズWESTのアルバムのなかで過去イチ好きだったので、ライブがとても楽しみで、その反面ちょっと怖かった。

恥ずかしながらツイ廃なもんでそこそこレポも読んで何が起こるかは覚悟していたし、実際流れてくる呟きにはもちろんマイナス側の意見もあるわけで。

 

でも、いざ会場に入ったらみんなの熱気とか、照明がバッと消えると高揚で肌が粟立つ感覚とか、オープニング映像の楽しさとか(大道具さんリア恋です)、カチンコが鳴った瞬間にはもう完全に彼らの世界へ引き込まれていた。

 

ライブにおける解釈や楽しみ方は千差万別なので、ここから書くことは誰かを否定する訳じゃなく、一個人が抱いた感想の1つとしてご了承いただきたいです。

 

全てが終わって思い返すと、ライブWESTV!において、私の役割は「番協」だったな、と気付いた。

番協は、お客さんとは少し違う。観客席にいる番協は、観客の「役割」を与えられた出演者の1人だと、私は思っている。

WESTV!というテレビ番組全34回の生放送のなかで、ほんのわずかな時間ではあったけど、私は確かに出演者の1人だった。

役割をまっとうするべく、声を出して手を叩いてペンライトを灯して歌って踊って笑って泣いた。

終わってしまうと寂しかったけど同時にとても達成感があった。だって私は私の役割を完璧に果たしていたから。全部自己満足なのはわかっている。でもいまは幸せな勘違いをしていたい。

 

さて、WESTV!のジャケットは、TV番組のスタッフに扮する彼らと、出演者としてのジャニーズWESTに扮する彼らがデザインされている。

特にタレントの方、昭和感がすごい(笑)。

平成も終わりのこの時期に時代遅れも甚だしくない?

しかしこれこそが、彼らの狙いなのでは……なんていらない深読みをしている。

 

TVに出るスターの言葉や行動は、誰かのフィルターを通してSNSの言葉に変換されて、時に違った形で多くの人に共有されてしまう。

また、TVスターを夢見た人々が、紆余曲折を経てTVスターになろうともがくうちに、TVに変わるメディアのスター(もしくはスターの卵)たちはハイスピードで躍進を始めている、ということに対して、焦燥感のある人もおそらく少なくない。

 

ただね、楽天的すぎるかもしれませんが。かつてラジオスターの悲劇で歌われたように、確かにラジオがメディアの第一線を退いてからは久しいけれど、じゃあ今の時代ラジオが失われたかというとそうではないよな、と思っていて。

SNSのスピード感には目を見張るものがある。リアルタイムで流れてくる情報は、とても便利で面白くて飽きない。いや、飽きてもすぐ新しいオモチャをくれる。望む望まざるに関わらず。

それに比べてテレビ番組ってかったるい。準備にも時間がかかるようだし、好きなコンテンツが流れるまで待ってないといけないし、いいところで中断されるし。

でもそういう手間がかかってるテレビは、新しいメディアに、果たして「劣っている」のかな。

 

昭和のTVスターを目指し(てるかは知らない)、現在進行形の王道路線とは違う道を走ろうとする彼らを、時代に合っていないと批判する人は必ずいる。

もうテレビなんか見ない、そう言って電源を落とす人もいるし、そもそもテレビなんか持ってないよという人もいるはずだ。

一方で、ザッピングのさなか偶然彼らのチャンネルに合う人もきっといる。

昔ながらのテレビだと侮るなかれ、WESTV!は無限のチャンネルを持っている。

時代遅れだと嘲笑う相手に限って、もしかするとかつてはテレビのスターに憧れていた少年少女だったかもしれない。だとすればまた、簡単にテレビの虜になる可能性だってある。

 

彼らのどこか懐かしいTVショウが、新しいメディアに絶対負けない明るく楽しく新鮮な最高のエンターテインメントだったことは、あの日出演者だった私が誰より知っている。

ターゲットを絞り襲ってくる情報の波に疲れたら、ちょっとお休みして、番組表を広げながらのんびり何を見たいか自分で選んでみるのもいいよね。

きっとそのうちまた、彼らがワクワクするTVショウに招いてくれるから。そのときには、いつでもすぐ、チャンネルを彼らに合わせられるように。